上島楓の生い立ち 「ある女の子の話」

HKT48 5期研究生 上島楓さんが

2020年3月13日から3月17日にかけて、自分の生い立ちをストーリー仕立てにしたメールを送ってくれました。

せっかくの大作なので記録用に残しておきます。

 

 

 

No.1(よくわからんおはなし)

 


ある女の子の話をしたかったのでします、
勝手にします、

 

小さい頃の女の子は
喋ること、歌うこと、踊ること、
誰も見ていないのに一人で読み聞かせをすること、プリンセスの服をきてお父さんに見てもらう事、とにかく色んなことが大好きな、

どこにでもいるような明るくてうるさくてわがままな子でした

少し変わっているところといえば
お店やスーパーで知らない人に話しかけに行ったり、おばちゃんおじちゃんにお話しすることが好きだったり、気付けば知らない子と友達になっていたことくらいでした、

とにかくいろんなものが大好きでした。

「いろんなもの」と言うのを深くお話しすると
家族、いとこ、はもちろん

回覧板を回すときのドキドキとか、回す所のおばちゃんのお家でくつろぐ事、習い事へ行くとき玄関でお見送りしてくれているお父さんに車から「また撮っといてねーー!」って見れない番組を録画してもらう為に叫ぶ毎週のやり取り、、、

あげていったらきりがないのでやめました()

幼稚園ではお友達もいて、遊んだり喧嘩したりしていました。

幼稚園のお泊まり会、
隣の布団にいた子がとても仲良しな子で
ずっとお話ししていたら、
朝の体操に2人で寝坊しました、

遊具の太鼓橋(調べた)が怖くて、
みんなで遊ぶ時間、1人だけ泣いてしまって
「そんなのも怖いのかよ」って男の子に笑われたので、

迎えに来てくれたお母さんに見てもらいながら泣きながら練習しました、

その女の子は3歳ごろからバトンを習っていたのですが、
この頃はバトンを魔法の棒に見立てて友達と
劇を作り、振り回すような子でした。

そんな女の子も小学校に入りました、

 

 

 

No.2(だからなに…)

 


小学校に入った女の子は
小学2年生の時、初めて「悔しい」を経験しました

それは、バトンでの出来事でした

ある日、バトンクラブに新しい子が3人
入ってきました。
3人とも3年生で一つ年上でした。

人数が増えてから半年くらい経った時
発表会の練習が始まりました、

バトンの世界ではリーダーさんや、上手な子が前です。

この間入ったばかりの3人の中の1人の女の子が
真ん中で大技をする事になりました。

、、できるの??と思いましたが

その新しい子は、
女の子にまだできなかった技を簡単にしたのでした。みんなが拍手しました。女の子も拍手しました。できないのだから仕方がない、そう思っていたけれど、

だんだん…3歳からやっているのにまだできなくて半年の子に抜かされた事が恥ずかしくて悔しくなりました。その日から毎日毎日練習をしました。

バトンは魔法の棒ではありません、
当たると痛いし、一回できたからと言っても習得までに時間がかかります。


その女の子をライバルだと思い、
目標にしていましたが、天才的な女の子は学校があるからとやめてしまいました。


女の子はそれでも必死に練習をして、できるようになりました、

悔しいと努力も苦労も一気に知る事ができました。

3年生になると、
チームで大きな大会に出ることになりました

その中で、また、できない技がありました。

3人する振りで女の子だけ外されてしまいました。

その日からまた、
毎日毎日同じ技を練習しました。

でも大会には間に合わず、大会は
2人の後ろで技をしない方の踊りを踊ったのでした。

でも大会後にはすっかりできるようになりました。


女の子は、
バトンなんてやったことのないお父さんに教わりながら()

必死に毎日練習することの大切さを
たくさん学んだのでした

 

 

 

No.3(へーーー)

 

 

小学生に入ると、

マイクとくっつき虫という素敵な仲間に出会いました。

最初はお互いがお互いを大嫌いでした
仲良くなるなんて思ってもみませんでした、

でも楽しいこともありました、
3人でずーっと毎日一緒にいました、

クラブも一緒で毎日毎日顔を合わせては喧嘩をして仲直りしては遊んでを繰り返していました。


女の子は、その頃からアイドルというものに憧れを抱くようになっていました。初めは学校で流行っていたメロンジュースという曲を、
みんなの真似をしないとって思って真似をしていました、おうちに帰って曲を見てみたり
詳しいフリをしては学校に通っていました、

でも、だんだん好きになっていって
将来女の子はアイドルになりたいと思うようになっていました、

でも小学生の時もバトンの毎日でした
オーディションがあるなんて知らずに、好きな気持ち、なりたい気持ちを密かに隠しながら
バトンが大好きで続けていました、

 

 

 

No.4(もう飽きたよね、もう少し)

 

 

小学5年生の春、クラブで全国大会を目指す事になりました。実は去年も目指していたのですが、3回あるうちの2回目で敗退してしまったのです。

去年は女の子はチームに出る勇気がなく
今年が初の全国を目指すチームの仲間入りでした、小学生とはいえ全国を目指すチームなので先生も6年生も厳しくて、ご飯が全然足りなくなったりしました。

女の子はやめようと、バスケ部一本にしようと
思っていました。

ですが、先生は何度もその全国大会に出て一位を取っている人でした。自分の現役の頃のDVDを見せてくれたり、ミュージカルのDVDを見せてくれたりしました。

それまでの人生、「先生は怖い」と思い込んでいた女の子の目の前に愛がある先生が現れました。

先生はレッスン中はとてつもなく厳しく、
何度も何度もやり直したら怒られたりしました。でも昼休みになるとお昼寝の時間をくれたり一緒に好きなアイドルの話を聞いてくれたりしました。みんな先生の事が大好きでした。

先生は一人一人のことをみていてくれて
一人一人に熱い気持ちを話してくれました。

去年、女の子が参加していなかった、全国大会に行けなかった弱いチームが
先生の厳しいレッスンの元、全国で1位に輝きました。まさか取れるとは思っていませんでした、女の子のチームはもちろん他のチームもここまで強くなっているとは思ってもいなかったそうです。

小学5年生の冬、先生とのお別れ会をしました。結婚するのでやめてしまう先生のお別れ会、涙が止まりませんでした、女の子は最後に先生にお手紙を書きました。何と書いたか覚えていないのですが()先生の事が大好きです。

女の子は先生との出会いで、
楽しくバトンを続けられました。

もし、違う先生だったらやめていたかも
しれないです。

 

 

 

No.5(ふーん)

 

 

女の子は中学生になりました、
部活はバトン部。信じられないくらい厳しい部活でした。

女の子は、厳しいのが楽しくて大好きだからこそ毎日楽しく過ごせていました。

でも、そんな時ずっと一緒に頑張ってきた仲間がバトンを辞めることになりました。
バトンが当たり前の人生だったその子は
本当の気持ちを隠してバトンをしていたけれど本当は楽器がしたくて、吹奏楽部に入りました。

たくさん説得したけれど、
途中から女の子は説得はよくないと思い始めました。自分がしたいことを止められるのはいやです、

そんな出来事があり、女の子は本当にバトンがしたくて部活をしているんだなぁと
これから厳しい事があっても全力で頑張ろうと心に決めたのでした。

中学3年生の時
女の子の中での大事件が起こりました。

3年生になった為、1番上です。
技が増えたり、1人の踊りが増えたりしました。

プレッシャーから女の子は技に入れなくなりました。

「入れない」というのはバトンを投げて
途中で自分が回転したり動いたりする動きが
固まってしまい、全く手足が動かなくなってしまう事です。

落としたらどうしよう、なんで私なんだろう
1人で任されるのはいやだ、そんな気持ちからプレッシャーが多くなって

何度練習しても、技だけはできるのに
演技の途中になると身体が急に動かなくなるのでした。
バトンの先生をしていたお母さんに何度も相談したり、いろんな友達に見てもらいながら練習をたくさんしました。
でもこれは、練習ではどうにもならない事でした。

プレッシャーに勝つ、強い気持ちが必要でした。
そこでたくさん考えました、

女の子は今まで1人で技をやっている気持ちでした。1人の踊りも1人でやっているつもりでした。だけど、チームです。女の子が技をやっている時も後ろで「頑張れ!」「取れるよ!」と思ってくれるチームのメンバーがいるのです。

女の子はその事に気付くのに時間がかかりました。その為、本番に近くなるとはじまるリハーサルや高校生に見てもらう時はまだまだ技に入れなかったりしました。

(もちろん、入れる日もありました、)

本番に近いリハーサルや見せ合いは何回も行われました。

同じチームの後輩や同期は、女の子が悩んでいることを気づいてくれていました。
ただ技に入らないだけじゃなく、気持ちからできないことをわかってくれていました。

そして心の底から応援してくれました。

本番は見事に成功しました。
女の子はチームのためにやろうと思っていました。

技を頂けること、こんなに技に入れない時期があったのに先生は信じて外さなかった事、女の子は改めて気付いて感謝しました。

女の子を成長させてくれました。

 

 

 

No.6(おお~)

 

 

女の子は高校生になりました、
すると、バトン部に憧れてたくさんの仲間が違う学校から入ってきました。

たくさんの仲間が増えて
同期が少なかった女の子もたくさんの同期に囲まれながら部活をしました。

その分、いろんな考え方があることをしりました。少なかった時はなんとなくまとまった意見も全くまとまらないこともありました。

何度も話し合いをしたり、
3年生に怒られたりして、仲良くバトンをしていました。

一年生の時、怪我をした同期がいました。
バトンはいつ怪我をするか分からないし
軽い怪我から重い怪我まであります。

怪我をした同期は授業をしていても寝ていても腰が痛くなり、踊ることなんて難しい怪我でした。

治ると思っていたのですが、2年生になっても治ることはなく怪我をしていた同期は大会に出れない事が何度もありました。

その同期に何をしてあげられるかわからなかった女の子はひたすらに練習をして
同じ気持ちで大会に臨むことしかできませんでした。痛さも踊れない辛さも分からず、悔しい気持ちが続きました。

入院したときに、何度もお手紙を書いたりしました。それに、女の子は怪我をした同期の物の考え方が好きでなんでもLINEで相談していまし

そんなこともあり、
2人は信じられないくらいお互いの信頼度が高まってお互いを頼るようになっていました。

高校で部活をしている間
怪我をせず、何も辛い事がない中でできる環境があることの感謝を忘れることはありませんでした。

そして、同期でその怪我をした子を支えながら過ごしていたので

1年生の時は
気付くのが遅いと怒られていた女の子たちも

みんな気付きが早くなったり、
少しでもお互いが体調悪そうにしていたらすぐに気付いて手当てをしてあげられる仲になりました。


そして、
体調不良の時にはお家へお見舞いに行ったり
食べ物を持って行ったり
たくさんLINEで相談しあったりする、
優しい関係になりました。

 

 

 

No.7(話戻っている)

 

 

時間が少し戻りますが…

女の子の人生を変えたと言っても過言ではない
方との出会いを伝えたいので時間を戻します…

女の子は、中学2年生の冬 個人の大会に出ることになりました。毎年出ていましたが結果が出る事はなく、本当に下手くそだったので参加だけ状態でした。

そんなある日、高校2年生の方々が中学生の部活を見にきてくれました。その中でペアを作った方につきっきりで見てもらうレッスンをしました。

その時たまたまペアになった先輩は、
踊り方もとても綺麗で前々からずっと憧れていた人でした。

教え方がすごくて、女の子は自分でもわかるようにみるみる変わっていきました。
先輩は踊りだけでなく、一曲にどういう気持ちで踊るかストーリーを作るのか
(ダンストワールと言う、技!と言うより演技!表現!で競う種目だったから)

とか、そう言う気持ちも教えてくれました。

その日まで女の子は個人の練習は苦手でした。
個人の練習はみんなが一斉に自分のと戦いになります。

みんな上手で去年よりレベルアップして大会に出たいから必死に練習します。

でも女の子は下手くそだから自信がなく
みんなに見られながらみんなの中で練習するのが恥ずかしくて、1人で外でやったり空いてる時にやったりしていました。

でも先輩に出会い、すこし自信を持てたのか
人の目を気にしないことを教わったからか
すこし抵抗はありますが、みんなと一緒に練習するようになりました。

結果は結果ですが、一人一人個性の出る大会、
人の目なんかどうでもいいと言う気持ちを持てるようになりました。


女の子は個人で賞などとったことがなく、
いつも同期におめでとうを言う側でした。
女の子の同期はバトンが強いメンバーが多いと色んな学年から言われるほど実力者が集まった学年でした。

すると、
その大会で女の子は学年別の大会で人数は少なかったですが
二位に輝きました。


自分の名前、また無いなと思い帰ろうとしたら
同期から呼び止められ、
上位の方に名前がある!!と言われました。


賞などとったこともなく、毎年出るか出ないか悩むほど自信がなかった女の子でしたが

もっとやってみたいと、
もう少し自分を信じてみたいと、

その日からひたすらに練習するようになりました。

人の目を見なくなりました。
気にしなくなりました。

持ちすぎは良く無いけれど、
少しの自信はかなり必要だと、自分を強くすると気付いた出来事でした。

周りの見る目も変わりました。
ライバルと思っているよ、と言う声もすこし増えました。

バトンの世界は、急に名前が上がる選手もいます。

みんながどこでどのくらい努力してるかなんて
実際誰にもわかりません。

 

 

 

No.8(まだおわらないのかあ)

 

 

女の子は高校2年生になりました、
人生が変わる年です

高校2年生の5月頃、
いつものように部活が終わり疲れて帰って
おうちで携帯を見ていました。

するとHKT485期生オーディション開催決定という文字が女の子の画面の中に並びました。
その時、心臓がドクドクしたのを今でも覚えています。初めて開催の動画を見たときに涙を流しそうになったのも覚えています。

実は女の子は、アイドルになりたいんじゃなくてHKT48に入りたいと思っていました。
その思いに確信がついた出来事がありました。
HKTのオーディションの話が上がる前、
NMB486期生、NGT482期生、オーディション開催決定の記事を時期は少し違いましたが
女の子はしっかり見ていました。

応募したらもしかしたら人生がかわるかな、
アイドルになれるかもしれないと思っていましたが、もしHKTがあるならHKTがいいなとも思っていました。でもそんなのいつか分からないし今やらないともう二度とアイドルを目指せないかもしれないと思って葛藤していました

親にも言えず友達にも言えずでしたが 自分で答えを出しました。HKTに入りたい、あの中に入りたい、だからもう少し待ってみよう。
これでオーディションがなかったり、HKTのオーディションが開催されてもすぐ落とされるかもしれない。
そしたら後悔するかもしれない。でもHKTになりたいと言う気持ちに確信がついたことがなんだか嬉しかったのです。

ここしかない、今しかない、そう思ったのです
HKTのオーディション開催の記事を読んだ時の心臓のドクドクは他にないものでした。

女の子は将来に悩んでいました。
大学に行くのか就職をするのか自分が何をしたいのか分からずにいました。

人生で1番悩みました。
受けて、落ちて、いつか知られて周りに笑われるかもしれない。こんなにも続けてきたバトンを気持ち的にも簡単にやめられるのか、
たくさんの人に迷惑かけるだろうな

そして、セミナーの日はバトンの大会もあったのです。まだ、チームではなく個人だったのでチームに迷惑をかけることはなかったのですが、セミナーに行くとしてバトンの先生や仲間にどう伝えよう。そう思っていました。

こわいし。。
ならやっぱりやめとこう、
そう思いました。

でも、やっぱり踏み出したくて1人では決められないことだったし
お母さんに言いました。
いいんじゃない?やりたいならやりなよと言われてお父さんも同じ気持ちでした。

その一言で女の子はセミナーに行くことを決めたのでした。

 

 

 

No.9

 

 

女の子は二次審査に行くことになりました、

お洋服に興味がなく可愛い服がなかった女の子にお母さんがこの日の為に、可愛い服を買ってくれたのでした。

二次審査は気合いが入りすぎたのか1番最初に着いてしまいました。()

下で待ってくれていた天然なお母さんは女の子が降りてくるのが遅かったので、お腹が空きすぎて倒れているんじゃないか本当に心配だったそうです。

女の子も女の子で、倒れはしなかったものの
お腹が空きすぎてずーっとお腹が鳴っていました()

女の子は無事その日を終えました。

最終審査へと向かう日がきました。
あんまり覚えていないくらい緊張していました、

緊張でお母さんが作ってくれたお弁当がなかなか口に入りませんでした。

可愛い細い白い女の子たちがたくさんいて一気に自信を失った女の子でしたが

名前を呼ばれた時はびっくりして
お母さんに伝えた時もお母さんもびっくりしていました。お家に帰ってお父さんとお母さんと3人で話し合いました、

福岡に行くのも学校や部活を辞めるのも夢のためなら!と一旦思うけれど、簡単ではありませんでした。

それでもHKTに入れるチャンスを頂いたのだから頑張ろうと決めて大変だったけれど
決意をしたのでした。