「竜とそばかすの姫」初見感想・考察 ネタバレ有り

2021年7月16日(金)に公開になった細田守監督作品「竜とそばかすの姫」を観に行ってきたので、あらすじと、感想と、考察をば。

 

 

 

<あらすじ> ※ネタバレ含む

 

高知の女子高生すずはインターネット上の仮想世界「U」で歌姫ベルとして注目を集めていた。

あるときコンサートに「竜」が乱入、コンサートは中止となり竜は話題となる。

正体を突きとめようとした親友「ヒロ」によって竜のいる城に辿り着いたベルはそこで竜と過ごすうち、竜を気にかけるようになる。

迷惑な存在である竜に制裁を加えようとする「ジャスティス」はベルを拘束、ベルは逃れるも竜の城を突きとめたジャスティスは破壊を始める。

すずは竜のオリジン(正体)である少年を見つけ、少年ら兄弟が父親から虐待を受けていることを知る。「助けたい」と呼びかけるが信用されず、ベルの姿からすずの姿になって歌を歌うことで信用してもらおうとする。

大観衆の注目の中ですずは歌姫ベルからオリジンであるすず自身へと変貌し、変わらぬ歌声を披露。

竜のオリジンである少年「健」はベルを信用するが父親が通信を遮断する。

すずは健たちが住む東京へ向かい遭遇を果たし、父親を退けたあと抱き合う。

高知に帰ってきたすずは、父親や幼馴染の忍との関係や、人前で歌うことを克服していた。

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<感想>

 

まず全体の感想として、とても良かったです

緑が綺麗な自然の風景、圧倒的な群衆や美麗なCG、そして歌!

映画を堪能したな~という読後感でいっぱいです

 

・女子高生の成長の話だった

ボーイミーツガール的な話ではなかった。具体的には、母親の喪失を乗り越えきれず、父親と面と向かって話せず、人前で歌うことができず、幼馴染の忍に対して距離をとっていた主人公すずが、それらを払しょくする!、という主人公の変容がこの映画で描かれる主題であった。

逆に言うとこれ以外の様々な要素は、部分的に詳しく描写されているにもかかわらず結末を見ないものも多かった。

 

・ネガティブをたくさん描いていた。

インターネットにおける誹謗中傷であるとか、友人関係の妬みや嫉みが通信機器の発達によって瞬く間に広がっていくだとか、児童虐待だとか、そういうダークな事柄を直視させるように描かれていた。大衆の心無い声は存在することが前提というような、幻想を抱く隙のない描き方だった。主人公のすずはそれを気にするタイプだし、親友のヒロは気にしないタイプだけれど、現象としては彼女たちそして観客にそれらは突きつけられていた。

冒頭で意識させることで、以後ずっと意識せざるを得ないような感覚になった。

飼い犬の前脚が――やけどなのか――傷を負っていたり、すずの愛用しているコップが欠けていたり、すずの顔にはそばかすがあるし、竜は痣を負っていた。映画の世界観の中で不完全なものがたくさん提示されていた。それがやはり現実味を帯びて迫ってくる効果になっていたし、読後感として今私を襲ってきている。

比較的恵まれた環境の自分にとってはこれくらいで済んでいるが、ある種の環境に身を置いている人々にとってはクリティカルヒットしそうな映画だと思う。

 

・ボーイミーツガールは楽しい

劇中でほっこりさせられたのは、「ルカ」と「カミシン」がくっつくシーンだった。すずも含めてあのシーンは優しい世界が構成されていて、単純に見ていて幸せな時間だった。

 

・エピローグがほしい

劇中で感じた違和感などは後述するとして、それらとは別に不満があるとすれば、ぜひとも物語が終わったあとのエピローグ部分をほんの少しでもいいから見せて欲しかったと思う。虐待が起きていた家庭については難しすぎるので別としても、素顔を晒した歌姫ベル(すず)があのあとインターネット上でどのような反応をもらいどのように受け取りどのような活動をしていったのか。少しでもいいから見たかった。自分が観衆なら一層ベルを応援すると思う。

忍との関係も、ルカとカミシンがくっついたことによる高校の人間模様も、少しでいいから書いてほしかった。

この点、ベルの活躍や友人たちのその後は、「すずの成長」を描く映画には不必要だとの判断を感じる。あくまで主人公すずの成長物語であり、先に提示した部分が解決した時点でこの映画が語るべきものはないということらしい。残念だ。

 

・合唱シーンは感動した

終盤、ベルがすずへと変わって歌ったシーン、すずの歌が聴衆へと広がり大合唱になったシーンはとても感動した。多くの人の想いが同じベクトルを向いていることが聴覚的にダイレクトで伝わる合唱には、人々を感動させる力があると思っているので必然の感動シーンだった。

あ~コロナでまさに合唱がご法度なのが辛い。

 

 

 

<考察>

考察というか、謎に思ったことがいくつかあったのでこちらにまとめる。

 

・なぜ竜は球体会場に乱入したのか?

ベルと竜が出会わなければ物語が進まないとは思っていたが、なかなか強引な出会いだった。偶然か、いやきっとそんなはずはない。あとで少し考えてから、竜(健)は弟のためにベルの元へ行こうとしたのではないかと思えるようになった。映画を観ている最中はなんでやねんと思っていた。

 

・なぜベルは竜に興味を持ったのか?

「あなたは誰?」を繰り返すベルだが、普通乱暴者のパーソナルにそんなに引き付けられることは無い。しかし物語としては2人が近づく必要がある、というわけでベルが竜に興味を持つ過程に必然性が薄いように感じた。映画を複数回見たら、コンサート会場のシーンで見落としていた、この謎を解く描写があるのかもしれない。映画を観ている最中はなんでやねんと思っていた。

 

・なぜ忍やママさんたちはベルの正体が分かったのか?

これに関しては劇中にヒントは無かったのではないかと初見後の自分は思っている。どのタイミングで分かっていたのだろうか、高校で手を掴んだときにはきっと分かっていたんだろうとは思う。日常がダイジェストで流れていくシーンにヒントが隠れていただろうか。

ノーヒントでも分かるとすれば、声は明らかに同じなので、たとえば忍くんたちはベルの声を聞いて「すずっぽいな」と勘づいて、ベルの顔にあるそばかすを見て「ははん、これはすずだな」と確信する、みたいなルートなら有り得そう。

 

・なぜ虐待していた父親はすずの顔を見てへたったのか?

児童虐待に関するシーンについてはいろいろと――かなりいろいろと――思うことがあるのだが、まあ細かいことはいいとして、雨の中で兄弟を庇っていたすずが振り向いたシーンで父親がへたりこんだのは何故なのだろう。(そもそも他人がいると分かった時点で父親は丁寧なフリをして子供たちを家に連れ帰るだろう)(そもそもあんな偶然で遭遇しないだろう)(そもそも……)

すずが強い顔で見つめたからか、すずの頬から血が滴ったことで自分の加害性を認識させられたからか、ベルのオリジンである女子高生だと気付いたのか。

これに関しては恐らく映画製作側の用意した絶対の答えはなく、感じるように感じていいレベルのことかもしれない。

 

・あれから虐待家族はどうするのか?

さすがにこの点は言及したい。基本的にはあの出来事だけで虐待がぱったり止むワケはない。しかし虐待の証拠はヒロが持っているだろうし、児童相談所の介入はあるだろう、引き離すかどうかは分からない、あのままなら引き離した方が良さそうだが。

しかし物語的には健が「勇気を貰った」と言ったセリフが雄弁である。「自分が耐えればいい」というマインドから転換しているし、"あのベル"が本気で自分たちのことを心配して助けようとしてくれたことは、彼らにとって絶大な心の支えになることは間違いなさそうである。悲観はしていない、しかしもうちょっと描いてくれても、ねえ

 

・すずが現実世界で歌えることの意味

これは自分の考察に過ぎないが、すずが母親を亡くした時の最後の記憶は「ママ行かないで!」と大声で自分の切なる本心を訴えたことだった。この時の経験からすずは、大声で自分の本心を叫ぶと不幸なことが起きるというような心理的な枷を背負ったのではないかと思う。だから心を開放して歌を歌うということが現実世界でできずにいた。

ラストシーンでおばさま達から合唱のリードを任されたときに元気に「はい!」と返事をしたシーンは、現実世界で歌を歌えることを示しており、つまりは母親との死別という辛い過去をすずが乗り越えたことを示していると思った。